手紙 37

地上の営為はおしなべて、その幸運も、その逆境も、置いてきました、わたしは、わたしの後ろ側に。こうして今、ここに立ちます。祭壇の前に跪く、そんな空想をして来ましたが、あたりをみれば、一面の草ばかりで、まだ冷たい風に、穂先がさらさらと音を立てて、揺れています。

ここには何の美もありません。言葉を語る口もありません。評論も評価もありません。今は明るい昼間のはずですのに、鳥たちの歌が、何の色合いもなく響きます。これが静けさなのでしょうか。こんなにも光も音も豊かですのに。あまりにも静かです。不規則な穂先の描く運動も、この目にはただ映るだけで、心の水面は波立つことなく、何の快も、何の不快も、生じません。わたしの足は震えているのでしょうか。怖いのでしょうか。思い出しては息を吸うありさまで、そんなに嫌なら引き返せばよいのに、それだけはできないと、わたしの本体がはっきりと知っているかのようです。さあはじめましょう。わたしは今ここに来ました。次に来るか、前に来たか、誰が知りましょう。それはどうでもよいことです。

さて、ここに来たら、わたしにできるのは、「はい」と言うことだけで、たたかうこともあらがうことも、背を向けて逃げることもできません。あらゆる準備は潰えます。あれほど丁寧に時間をかけて磨いた我らの武器も、持ち込み禁止となれば、小さなナイフの一本すら、身に着けることも許されないならば、丸腰で、身を守る盾も鎧もないままで、何の反抗をすることができましょう。もっともたとえどんなに強い武器を持ち込めたとしても、どんなに頑強な肉体を持っていたとしても、立ちすくむことしかできない以上、それら傷つけるための道具には何の価値もありません。ここから何かが始まるのかは、わたしにはわかりません。それはわたしには知り得ないことです。それでも人はこの庭に迷いこむしかないのではないでしょうか。偶然にここへ来たとは思えないのです。

ここが本来性を恢復する場なのか、それともここもまだ幻想のひとつに過ぎないのか、それすら恥ずかしいことにわたしにはよく見分けられません。もっと良い目を持つ人であればきっと、もっとはっきりと見通すこともできるのでしょうが、たとえ盲目であろうが、闇夜であろうが、わたしはここへ来て、目を開いておかねばなりません。これは悲しいことです。わたしの視力、限られた視界で、いったいどれほどのものが映るでしょう。こうした限界を想像すれば、心に諦念と一種のかなしみの波紋が広がるのを止めることができません。それでもわたしは目を閉じるわけにはいかないので、なおいっそう、かなしいのです。

わたしはここで自分の輪郭を保つことがほとんどできません。わたしはわたしとしてここに立つのではなく、ここに引き立てられたのは、たしかにわたしではあったのでしょうが、そのままのわたしではいられませんでした。自分という外殻が溶かされて、その中に何が詰まっているのか、わたしは想像できませんが、自分への攻撃行為を忌避するのが自然でありますのに、進んで引き受けるような一種の自殺が行われるのはなぜでしょう。他にどうすることもできないから、と言えば済む話でしょうか。酒を飲み続けることができないから、というのは地上の事情ですが、そうですね、もし人を酔わせる成分を摂取し続けられるのであれば、それはそれで、そうした在り方も、認めねばなりません。わたしがそこを決めるわけではありませんから。それこそ人の運命なのでしょう。そう言っておきましょう。

わたしは傲慢で尊大で不敬虔なのかもしれません。地獄に落ちるのはきっとこの場に立たせられるような者であって、地の上の塵にどうして罪とか罰とかが該当し得ましょう。罰を受けることができるのは、罪を犯したものだけです。人がもし最終的に救われるものなのであれば、必ず救われるのであり、絶対に救われるのです。つまり救われてしまうのです。それを考えるとわたしは本当におそろしい。わたしもいつか救われてしまうのがおそろしい。それが運命なのであれば、わたしに何ができるでしょう。抵抗も一種の放蕩に過ぎないのであれば、物語りを壊すことができないのであれば、それこそ、そのようなわたしは罰を受けるに値しないもので、どこまでもかなしい独り舞台の演者に過ぎません。予定された結末に辿りつくだけのことならば、個人の生がひとつの悲劇に過ぎないのであれば、わたしはどのような仮面をつけて役を演じなければならないのでしょう。仮面の下の表情など見たくもありませんが、見れば各人各様でしかも一様にくだらないものでしょう。

なんにせよ人は昔より追い詰められており、今や退屈への恐怖が動因となって、世はうるさいだけのお祭り騒ぎに似ています。飽き飽きした人が直面する退屈は、今という時代により鮮明になりましたが、昔から変わらずに背後にいたと思います、たいして変わらずに。光を求める人間の必死さと滑稽さよ。色とりどりのともし火で部屋を明るくして、一時しのぎを繰り返して来ました。世は明るい。明るさに満ちています。どちらを向いても、ひかりばかり。

2026.03.21

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