人間ごっこといふ真面目な遊び あらゆる感情が真正でない いや感情そのものはそれ以外のなにものでもない 情動は強く 翻弄され 支配される けれどもこの全体は劇場での一幕としてさめた目で見られてゐる 観客席で穏やかに見物する目も私の目であって 舞台で転げ回る演者も私である 私はこの全体を楽しいと感じてゐる 生活は目まぐるしく 感情としては苦しかったり痛かったりつらかったり快かったり喜ばしかったりするが 総じて愉楽劇であると解されてゐる 観客の顔に笑みはないけれども 生も死もその過程のあれこれも 舞台の上の一幕で 台本は用意されたもの 死も生も 理不尽な暴力として起こる出来事なので 濁流に呑み込まれるごとく あらがひやうがない
起きたことについての感想を 真理の一端であるかのやうにみなすのは これはひとつの行為であって 我々としては今 選択をしたいのではなく むしろ視線を定めないでゐたいのであり 出来事をとてもとても大切にしたい 否定からの再生を我々は目指すのではなく 再生を急がないことを目指す 私たちは創造を控へる 薄明に留まりたい もっとも時が来たら ひとつの明晰さへと進まねばならないのかもしれないが 今はその時ではない と私は思ふ
扇風機の羽根の回る音
油蝉の声
それから・・・
さあ始めよう
懺悔の時間なのか?
いやこれはそのやうな時間ではない
この時はなにか?
切迫はしてゐる
しかし私は落ち着いてゐる
この時間の核心はなにか?
応答する他になにかをする余裕がない
はい としか答へられない
その後に続くべき言葉は来ない
そのやうな猶予がないから
ここで いま わたしは 何をするのか
何かをしても その意味が滑り落ちる時間のなかで
わたしに 何が できるのか
ここでは意味は意味を失ふ
しかしわたしはどうしてもここにゐる
どうしてかわからなくてもゐる
どちらを向いても
進む道は断崖に続き
どちらに歩を進めても
即座に落ちる
この場に留まるといふのは
選択といふより
さうすることしかできないから
立ちすくむより他にない
どんな道も現れては消える
わたしの目蓋に影だけが残る
追い駆ける気力も残ってゐない
まるで夏の夜空に浮かぶ花火のやうに
目の前に開くから見えるだけで
祭りの熱はさめ
うつろな目をした住人達がなんとなく
空に咲いては消える花を眺める
ここには望む答へはない
であるのに
わたしの目は望む目で
このまなざしはいまだに熱っぽい
しかしそれでも時は来て
わたしは行かねばならない
行きたいか行きたくないか
それは関係ない
準備ができてゐるかゐないか
どちらでも等しい
これをわたしは不条理と呼ぶのだらうか
この状況をそれともわたしは死と呼ぶのだらうか
いやむしろ逆であって
死がたんにここに似てゐるだけであって
死はここにある程度似てゐるからこそ
なんらかの意味をもって人の生に関与できる
死自体はなんでもよいものだ
あらゆる光が届かない地があるとしたら
そこに立たされた者は
何を見 何を語るだらう
それが誠実にあることなのだとしたら
まづは口をつぐみ それから彼は
死んだ者として生きるのだらう
これは事実上 眠ったままで起きてゐよと云ふやうなものだ
光さすあかるい場所が生活の舞台であるから
目を細めたとしても
熱い昼の光を遮ることはできない
油蝉が鳴いてゐる
本当にこれは なんといふことだ
さあ その手に持ってゐるものを捨てよ
どうして握りしめたままでゐるのか
さうか 捨てられないのか
それはもっともなことだ
わたしたちには待つことしかできないのか
奪ひさられるのを
抵抗空しく
無理矢理はぎ取る暴力が
やって来るのを
もっとも弱くすべなき者に落ちたとき
はじめて見るのだ 光の指さない場所で
震へながら
2026.08.15

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